嘉永4年(1851)「横浜村併近傍之図」(横浜市立図書館所蔵より)480
嘉永7年(1854)「横浜村辺之図」、この年にペリーが横浜に上陸した(横浜市立図書館所蔵より)480
安政6年(1859)秋頃の「御持場海岸分見画図」(福井県立図書館所蔵より)448
幕末の中村川(現在の石川町4丁目辺り)と上流に車橋が見える(「Fベアト写真集2」より)480
幕末に地蔵坂が建設されたころの写真、(「F.ベアト幕末日本写真集」より)480
明治3年「新鐫横浜全図」の一部分(横浜市立図書館所蔵より)448
明治前期頃の地蔵坂(長崎大学付属図書所蔵より)398
道幅もそれほど広くなく右側(山手)はまだ傾斜地になっている
地蔵坂上の正面はテンプルコート(日光屋敷)、08年(明治41年)の消印(横浜市立図書館所蔵より)480
地蔵坂上を行く大八車を弾く馬(横浜市立図書館所蔵より)480
地蔵坂の中ほどの蓮光寺前辺りから山手方向を見る(横浜市立図書館所蔵より)480
明治後期の地蔵坂下の光景。(横浜市立図書館所蔵より)480
写真の右手前は明治36年に新築した鶴屋呉服店の建屋、左端の店には
「ヱビスビール」や「さくらせんべい」の看板が見えます。
【大正11年の地蔵坂周辺の航空写真】
大正11年、大震災前の航空写真。(横浜開港資料館所蔵より)480
第8回 ⇒ 横浜の水不足と山手の湧水